『現場担当者4号の独り言』

みなさんお久しぶりです。

今回が7回目の投稿となりました現場担当者のOです。

 

『ブルーリボンスポーツ』という言葉を聞いた事があるでしょうか?

 

当時アメリカでは、ドイツ製のカメラより日本製のカメラの売れ行きが好調で、そこに目

 

を付けたある青年が日本製の靴をアメリカで販売したらカメラと同じことが起きると考え、

 

日本のシューズを輸入したいと、日本企業を訪れていました。ある企業との交渉を進めて

 

いる面談の中で一つの質問が彼を追い込んでいました。

 

その質問とは・・・『あなたの会社名は?』

 

???どうゆう事???ですよね。

 

だって会社があるから商売は成り立つ訳ですから、その質問は困る筈ないと考えるのが

 

普通と思います。ただ、彼は違いました。

 

商売をするつもりではありましたが、会社はまだ起こしていなかった・・・

 

その青年が交渉の場で回答に困った際に咄嗟についた嘘の会社名。

 

それが『ブルーリボンスポーツ』通称BRSです。

 

彼の名前はフィル・ナイト。聞いた事がある方も多いと思いますが、後に世界的な

 

スポーツメーカーへと成長する『NIKE』の創業者です。

 

その交渉を何とかクリアし、アメリカで、日本のシューズを販売するチャンスを手に

 

入れました。

 

販売は好調で、売上げはどんどん伸びていきました。しかし、利益はあまり生まれません。

 

理由は、利益のほとんどを投資(仕入れ)に回し、会社の中には、ほとんどお金が残って

 

いない状態です。

 

何度も倒産の危機を迎えては乗り越えてを繰り返していたようですね。

 

ちなみに仕入れていたメーカーは『オニツカ タイガー』です。

 

『オニツカ タイガー』の創業者である鬼塚喜八郎は昔の自分と重なる部分があり、

 

海外から来た青年に思い切って任せてみたと語っています。(日経新聞 私の履歴書)

 

そんなこんなでフィル・ナイトは商売を進めていきます。その中で、『NIKE』を立ち上げて

 

いく事になりますが、幾多のピンチが彼を襲います。

 

しかしそこでも2人の日本人がフィル・ナイトを救います。(実際にはもっと多くの方が

 

関わっていたと思いますが。)

 

 

 

個人的な意見ですが、この2人がいなければ『NIKE』は無くなっていたでしょうね。

 

それぐらいの事をこの2人の日本人が『NIKE』の為にしております。

 

それを行動に移した情熱とお互いの信頼関係には感動すら覚えました。

 

時代背景もあると思いますが、今では考えられない事が多いですね。

 

しかし、情熱を持って取り組むという事は昔も今も変わっていない部分でもあるかと思い

 

ます。それが自分自身どこまで出来ているのか・・・。

 

そう自問する毎日です。(決して悲観的という意味ではありません。)

 

そして最後の最後まで諦めず、挑戦し続けてきた人達の情熱が今も尚、人々を魅了し続け

 

ている理由かもしれませんね。

 

 

 

私自身、『最後まで挑み続ける』そんな思いを持ちながら、どんな状況でも諦めることなく

 

戦っていきたいと思います。

 

<O>